J SONGBOOK 日本の音楽を学ぼう! 【私を創った音楽の歴史。】Awich『心の闇を吐き出し、それがアートになり、強さになる。』 LEARN 2022.08.07

令和の音楽シーンで活躍するミュージシャンたちは、どんな「日本の音楽」を聴いて育ってきたのか。記憶の最初にある音楽から、活動の原点まで、そのルーツに迫ります。今回は、Awichさんにお話を聞きました。7月28日(木)発売Hanako1211号「J SONGBOOK 日本の音楽を学ぼう!」よりお届けします。

無題 (4)

最初に好きになったのはSPEEDとDAPUMP。世代が一緒だし、私も沖縄で生まれ育っているし。当時は沖縄アクターズスクールの全盛期。私もステージに上がりたくて、親に「アクターズスクールに入りたい!」と言ったら猛反対。父が厳しいんです。高校で生活指導の先生をやってるので。ラッパーになると決めたときも超激怒されましたから。

その後、小6の頃にCoccoにドハマリ。心の奥底を覗くような歌詞にめちゃくちゃ共感したんです。というのも、私は小3の頃からずっと詩を書いていて。何か得体の知れない不安がいつもあって、それを言葉にして綴っていたんです。吐き出した闇が、アートになり、強さになる、それを教えてくれたのがCoccoさんだったんです。

ラップに出会ったのは14歳の頃。当時、ヒップホップがブームになり、いろんなところでラップを聴くようになって。私は、小4の頃から米軍基地で英語を習っていたので、その頃には結構しゃべれるようになっていて。本場のラップを聴いてみたいと思ったとき、出会ったのが2Pac。のめり込みました。書きためた詩をもとに、英語と日本語を交ぜてラップをやるようになって。英語の先生の前でも披露して、「I’m a rapper!」って言ったら大ウケ。先生たち、全員クラブのセキュリティだったりするから(笑)、「そんなに好きならこのイベントに出ろ、このレコード屋へ行け」と教えられて。そこからラッパー人生が始まったんです。

いま、日本のヒップホップは沖縄勢がめちゃめちゃ熱い。OZworldとか唾つば奇きとか、本格派が多いんです。それはやっぱり、アメリカへの思いが強いからだと思う。いろんな問題をはらんでいても、フェンスの向こう側に憧れる気持ちは拭えない。私には14歳の娘がいますが、通っていた小学校の隣に普天間基地があって、校庭にヘリの部品が落ちたこともあるんです。でも、私は、被害者になりたくないし負けたくない。だからこそ、英語がしゃべれるようになろうと思ったし、アメリカの大学にも行ったんです。娘もそうやってポジティブに生きてほしい。私にソックリで勝ち気な子ですけどね。

【J SONG HISTORY】

□10歳の頃、SPEEDとDA PUMPがデビュー。ステージで歌って踊ることに憧れる。
□11歳の頃、Coccoの「強く儚い者たち」に衝撃。自分と近いものを感じ、アルバムを聴き倒す。
□14歳の頃、TSUTAYAで2Pac『All Eyez on Me』をレンタルして衝撃。ラップにハマる。

Profile…Awich(エイウィッチ)

無題

1986年、沖縄県生まれ。14歳でラップに開眼。芸名のAwichは本名の亜希子を「Asian Wish Child」と訳して命名。2006年、EPデビュー。その後、渡米しアメリカの大学へ。21歳で結婚・出産を経験、その後帰国。2016年より日本での活動を再開。2022年、一人娘をフィーチャリングしたシングル「TSUBASA」を発表。夢はグラミー賞受賞。

(Hanako1211号掲載/photo : MEGUMI styling : Masataka Hattori hair & make : Chihiro Yamada text : Izumi Karashima)

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