「回り道はしたけれど、結局無駄ではなかった。」 「留学して人生が変わった」女性3人にインタビュー。彼女たちの背中を押したものとは。 LEARN 2020.04.15

グローバル化が加速する近年。より海外が身近になり、留学を夢見る方も少なくないのでは。今回は留学がターニングポイントになった女性3人にお話を聞きました。「英語が話せるようになりたい」「世界で活躍できる人になりたい」 「留学して好きなことをもっと磨きたい」…様々な希望を持っていても、なかなか踏み出せずにいる。そんな方の背中を押してくれる言葉に出会えるはず。

1.〈マリメッコ〉でデビュー!テキスタイルデザイナー・島塚絵里さんがいまに至るまで。

〈CASE GALLERY〉の個展にて撮影。島塚絵里/東京生まれ、フィンランド在住。現在はフリーランスデザイナーとして〈マリメッコ〉等にプリントデザインを提供するほか、イラスト、執筆、コーディネート、翻訳の仕事にも携わっている。
〈CASE GALLERY〉の個展にて撮影。島塚絵里/東京生まれ、フィンランド在住。現在はフリーランスデザイナーとして〈マリメッコ〉等にプリントデザインを提供するほか、イラスト、執筆、コーディネート、翻訳の仕事にも携わっている。

ヘルシンキを拠点に、フリーランスデザイナーとして活躍する島塚絵里さん。〈マリメッコ〉などにデザインを提供し、さらに通訳やコーディネーター……と何役もこなす才人だ。〈cocca〉や〈kippis〉といった日本のテキスタイルメーカーとのコラボも多い。

中学時代の夏休み、たまたま欠員が出たというきっかけで1カ月間フィンランドでホームステイをしました。「日本の中学では楽しいことばかりではなく、海外で違う価値観や世界の広さを実感して、すごく楽になりました。漠然と海外への興味が湧いてきたのはこの経験からです」

そして27歳の時にフィンランドへ移住。「英語と日本語ができれば仕事があるだろうと思っていたのに全然なくて。カフェで皿洗いのバイトをしながら、フィンランド語を勉強して大学受験することにしました。専攻は最後まで悩み、生活の一部となるテキスタイルデザインに」その後大学在学中に〈マリメッコ〉に就職したため休学。社員時代には2年間休職をして学校に行ける制度があり、利用して復学。大学に通いながら通訳やデザインの仕事をする。その後、〈マリメッコ〉の上司やパートナーの助言もあり、復職せずにフリーランスとして活動を始めることに。

テキスタイルデザイナー・島塚絵里さん

〈マリメッコ〉でテキスタイルデザイナーとしてデビューしたのは、大学在学中の2014年、39歳の時。決して早い方ではないが、フリーランスになった現在でもヘルシンキを拠点に世界中から声が掛かる。「昔、美大予備校の先生に『アートはいつでも始められるけど、語学は若い方がいい』って言われて。すごく回り道はしましたが、結局無駄ではなかったなと思います」

(Hanako1159号掲載/photo :Ayumi Yamamoto text : Keiko Kamijo)

2.オーストラリア留学でバリスタに。〈Okusawa Factory Coffee and Bakes〉オーナー・山田舞依さん

お店のオープンから遡ること4年前、山田さんは一般の会社で働いていました。美大を出たのちに、CM制作会社に勤めたこともありましたが、あまりに過酷な現場だったため転職。その後、事務職をしながら過ごしていたそう。そこでは平穏な日々が続いていましたが、もっと自分が成長できる場を探して、海外で生活したいという考えるようになります。

「そのころのビジョンは、海外で語学を勉強すること以外は漠然としていたんです。コーヒーもほとんど知らなくて(笑)。メルボルンに決めた理由も本当にたまたまで。ワーキングホリデーで行きやすいのと、仕事が見つけやすいこと。あとはビーチより都会がいいなぁというくらいだったかも」

「一年目はとにかく働いてみようと思って、日本食レストランでキッチンのアルバイトをしていました。いわゆる語学留学の定番コースです。そこからさらに1年滞在したいと思ったときに、お客さんとも直接会えて語学力も伸ばせる仕事がいいと思い、現地の語学学校のバリスタ・コースで学んでから、カフェで働き始めました。自分でも、こういうコーヒーが好きだなとか、意識が芽生え始めたのもその頃」

いよいよコーヒーの世界に飛び込んで行った山田さん。オーストラリアを留学先に選んだことで、結果的にオージースタイルの、のびのびしたコーヒーカルチャーの洗礼を受けることに。
「どの店も街並みや自然に溶け込んで雰囲気がステキ。誰もが職場の近くや家の近所にもお気に入り店があって、コミュニティのようになっていたり。一日に何杯も外で飲むことも多く、コーヒーが日々の生活に溶け込んでいるんです」

「入り口は、語学力アップの為に現地の人々と関われる仕事がしたいと思ったことから。でも、いざコーヒーを淹れてみると、自らの手を動かしてものを作り、しかも人に喜んでもらえるということが楽しくて。この仕事ってとてもクリエイティブだと感じるようになって」

「美大を出て就職したけど、自分の仕事がお客さんにどう届いているのかわからなかった。でも今は、目の前で反応がわかる。あと、コーヒー豆は生産者からバイヤーの人、焙煎師、いろんな人の手を経て、世界中からここに届く。最後の部分を自分が担当しているわけだから、下手なことはできない。それもこの仕事の好きな部分です」

地球の裏側で過ごしたからこそ、わかることもある。「今日まで流されてきたようだけど、そうじゃない。一つ一つ選んできたことが、ここにつながっていたんだと思います」

〈Okusawa Factory Coffee and Bakes〉
■東京都世田谷区奥沢3-30-15
■03-6873-7067
■9:00~18:00
■水休
■10席 、テラス6席 禁煙

3. 26歳で渡仏。刺繍作家・小林モー子さんのターニングポイントとは?

吹き出しや宇宙人、動物も野菜もビーズのブローチになる。一風変わったモチーフで、伝統刺繍のイメージを変えた刺繍作家の小林モー子さん。「リュネビル法」というオートクチュール刺繍の伝統技術を用いたアクセサリーを作る。最近では一流メゾンとのコラボも果たした。小さな頃から洋服を作ったり手芸をしたりするのが好き。高校時代にバイト先でアパレル関係の人たちに出会い、文化服装学院の名を知り、進学を決める。専攻はパターンだった。

「自分が海外に行くなんて全然考えていませんでした。文化服装学院の3年の時に展覧会でパリのオートクチュール刺繍を初めて見て、いつかやってみたいなと思ったんです」
アパレル会社は忙しい。パタンナーとして昼夜問わず働く日々が続く。しかし、ある日。旧友との飲み会の場で友人の一人がパリ行きを漏らす。「それを聞いた時に火がついてしまったんです。私も負けてはいられないと(笑)」

ふとした友人の言葉が背中を押し、新しい世界への扉を開いた。26歳で渡仏。7年間パリに住み、伝統刺繍の技術を学ぶ。と同時に、刺繍の古臭いイメージを払拭したいと考えて、自分の作品を作り始める。

刺繍作家・小林モー子さん

高校時代に地元・茅ヶ崎にあったアパレルブランド〈SPORTIF〉のカフェで働いた。ファッション関係の人たちの出入りが多く、大いに影響を受けた。「社長もすごくセンスがいい方で、店の内装だったり、テーブルセッティングも含めて、いろいろと勉強になりましたね」

専門時代に友人と行った渋谷の美術館で開催されていた「パリ、モードの舞台裏」展で、初めてオートクチュール刺繍の世界に触れる。「見た瞬間に、やってみたいと思いました。でも学校ではパターンの勉強をしていたので、ひとまず経験を積んでお金を貯めようと思いました。」

クロッシェ針を使って、一つひとつビーズをたぐり寄せる、繊細な作業をする。「伝統的な蝶や花ではなく、自分が欲しいと思う身近な絵柄のブローチを作るようになったら楽しくて、モチーフも尽きないので飽きませんね」

(Hanako1159号掲載/photo :Ayumi Yamamoto text : Keiko Kamijo)

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