「 ラー油豚南蛮そば 」 児玉雨子のきょうも何かを刻みたくて|Menu #5 FOOD 2023.03.12

「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。

長ネギと豚バラ薄切り肉を食べやすいサイズに切る。そばを茹でてザルにあげ、空いた鍋の底にごま油を引いて長ネギと豚肉を炒める。めんつゆと混ぜて、ごま、食べるラー油を適量入れる。こってり!
長ネギと豚バラ薄切り肉を食べやすいサイズに切る。そばを茹でてザルにあげ、空いた鍋の底にごま油を引いて長ネギと豚肉を炒める。めんつゆと混ぜて、ごま、食べるラー油を適量入れる。こってり!

ラー油シリーズ第二弾。夏バテ防止夏映えそばつゆ。

今年の梅雨前ぐらいからインスタを始めてみた。

そのきっかけは、若いひとや時代と感覚があまりにも乖離してしまうのがイヤだな、というちょっとした恐れからだった。昔一度アカウントを作ったことがあったものの、ほとんど好きな漫画家やイラストレーターの投稿を見るだけで放置してしまい、それっきりだ。

前回書いた「食べるラー油」と同じく、インスタも逆張り精神を発揮してしまったのもある。一時期、インスタ(最近だったらTikTokかな)に熱心なひとに対し、「承認欲求の塊」とか「映えのために生活するな」とか、否定的な意見がよく目や耳に飛び込んできた時期があって、「へぇ、彼ら彼女らはそういう目的なんだ」と、やったこともないのにそんな意見を鵜呑みにしていた。

アカウントを作ってしばらく経った初夏のある夕方、夕日に照らされてサーモンピンクに染まった鱗雲が群青色の空に浮かんでいて、「きれい!写真撮ってインスタに上げよう」とスマホを手に取った。そのときふと、これは承認欲求なのか?という疑問と、これ俳句っぽいな、という思いが同時に浮かんだ。そこに他者の存在や評価を求めない表現もあるような……。もちろん、いいねやフォロワーの数が増えるとそういう欲がむくむくと顔を出すことも否定しないけれど、まだそんな下心が育つ前の、今見た・聞いたものを自分で再構築して表出したい!という「表現欲」が先に立つ。今ここにない、空想やアイディアをもとに行う「創作欲」とはまたちがうもの。何かぐっとくるものを目の当たりにして、和歌や俳句を詠んだ昔のひとたちも、こんな気持ちだったのかもしれない。
 
そう思うようになってから、すっかりインスタにハマってしまった。サジェストに流れてくる食事の写真も、悪評を生んだ頃ほどではなくて、ただ日常生活の食事が流れてくるのが楽しい。映えのための生活というより、意識的か無意識か、しだいに生活が映えてゆく感じ。
 
そんな日々のなか、ちょっと良い生そばをいただいた。とてもお腹が減っていたので、欲望のままに豚バラ薄切り肉と長ネギを焼き、食べるラー油を少し混ぜたそばつゆを作ったら、かなりいい感じ。こってりしているけれど、ざるそばなので軽く食べられて夏バテ対策にも。そして何より、気づけば華やか、気づけば映え!これもインスタの副次的効果なんだろうか。

photo & text : Ameko Kodama edit : Izumi Karashima

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