多くの人が知ることで、何かが変わるのだと信じて。 日本のドキュメンタリーで当時の捜査員が証言することの難しさと覚悟 |『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』 | 高橋ユキのドキュメンタリー好き。#2

CULTURE 2024.07.18

0か1か、善か悪か、すぐに結論や評価を求められがちな現代社会の中で、小さな声や割り切れない言葉は見落とされがちだ。そんな中、声なき声をすくいあげ、 事実を積み重ねていくドキュメンタリーやノンフィクションというメディアは私たち大衆にとってのライフラインであり、武器なのだと思う。ノンフィクションライター・高橋ユキさんが心に響いた作品を紹介する連載、第2回は、日本在住の英国人女性ルーシー・ブラックマンさんの事件に関するNetflixのドキュメンタリーを紹介。

Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中
Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中

忘れがたい裁判のひとつ、ルーシー・ブラックマン事件。

 刑事裁判の傍聴を始めたのが2005年。当時、まだ裁判員裁判は始まっておらず、集中審理などは行われていなかった。世を騒がせた凶悪事件の裁判でも、1〜2ヶ月程度の開廷でゆっくりと進んでいた記憶がある。そんな法廷に入って裁判を傍聴してみても、まるで途中から読み始めた書籍のごとく、目の前で繰り広げられているやりとりを把握するのに時間を要する。検察側、弁護側どちらが、何を立証しようとしているのか。ゆっくりとしたペースの審理を繰り返し傍聴し、徐々に理解していった。そのように傍聴したなかでも、忘れがたいもののひとつが、ルーシー・ブラックマン事件だ。

 まず弁護人がやたらと多い。弁護人席には1名から3名ほどが座っているのが“よくある”刑事裁判の光景ではあるが、この事件ではその2〜3倍はいた。しかもたまにそのメンツが替わることもあった。加えて、被告人がかけているメガネのレンズに若干色がついていた。サングラスなのか何なのか。勾留されている被告人の装備としては稀なことである。そして、被告人は開廷前からしきりに、後ろに座る弁護団の方を向き、なにごとかをひそひそと伝えていたりする様子があった。気になって傍聴を続けると、毎回そうだったので、傍聴席に顔を見せたくないのではないかと推測した。そして被告人は無罪を主張していることも分かってきた。

英国出身のルーシー・ブラックマンさんは当時21才。客室乗務員を経て、六本木で働いていた。
英国出身のルーシー・ブラックマンさんは当時21才。客室乗務員を経て、六本木で働いていた。

事件が起こったのは2000年7月、東京・六本木のクラブ「カサブランカ」で働いていた元英国航空客室乗務員、ルーシー・ブラックマンさん(21=当時)が友人へ電話をかけたのを最後に、行方不明となる。イギリスから家族が来日し会見、有力情報を求めたが、ルーシーさんの居所は判明しないまま、翌年2月、三浦海岸の洞窟内でバラバラ遺体となって発見された。

 逮捕されたのは東京に住む会社役員だった織原城二(逮捕当時48)。捜査の過程で、彼は神奈川県内のリゾートマンションに何人もの女性を誘い込み、クロロホルムなどの薬物を用いた上で性的暴行を加えていたことが発覚する。さらに、ルーシーさんが行方不明となった8年前にも、オーストラリア人女性、カリタ・リジウェイさんが織原と会った後に劇症肝炎を発症し、死亡していたことがわかった。最終的に織原は、ルーシーさんに対するわいせつ誘拐、準強姦致死、死体損壊、死体遺棄のほか、カリタさんに対する準強姦致死、さらに8人の女性に対する準強姦などで起訴。2010年に無期懲役が確定している。

織原城二受刑者は2010年12月8日に最高裁で無期懲役が確定している。(Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中)
織原城二受刑者は2010年12月8日に最高裁で無期懲役が確定している。(Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中)

日本のドキュメンタリーでは数少ない、「捜査員が当時のことを語る」貴重さ。

日英双方を騒がせたこの事件に関するドキュメンタリーが23年からNetflixで配信されている『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』だ。

 事件発生から20年以上、さらに判決確定からも10年以上が経ってようやく配信となった本作の原案は書籍『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』。この事件についての書籍は複数あるが、書名の通り、捜査にあたった刑事たちにフォーカスしたノンフィクションとなっている。

 ドキュメンタリーでは、書籍にも登場した元捜査員らが多数登場し、逮捕に至るまでの捜査の実態を語っている。当時、報道で目にしていた事件発生から被疑者逮捕までに、捜査員らがいかに奮闘してきたかが明らかになる。六本木の女性たちへの聞き込みから不審な男性客の存在が浮上。のちに織原であると判明するその男性客からドライブに誘われた女性らが、リゾートマンションに連れて行かれ、酒を飲まされて意識を失っていたことがわかってゆく。逮捕後に関係先から押収されたビデオテープは、意識を失ったあとの女性たちに織原が性暴力を加える様子が記録されていたといい、捜査員が語るところによれば、その数は数百人。起訴されている人数よりもはるかに多かった。だが「終わったことなので」と聴取を望まない被害者もいたという。
 ビデオテープを精査した捜査員は「人を人と思っていない」と犯行の様子を振り返った。別の捜査員は涙を見せながら「織原を許せない」と語る。この憤りが、自供を得られないなか、遺体を発見するという執念を生んだのか。

まさに執念ともいえる捜査でルーシーさんの死体を発見した捜査員たちが約20年のときを経て新事実を語る。(Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中)
まさに執念ともいえる捜査でルーシーさんの死体を発見した捜査員たちが約20年のときを経て新事実を語る。(Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中)

 なぜ本作を紹介したいと思ったか。理由はいくつかある。そのひとつはまず、サブスク界隈において日本発ドキュメンタリーが極端に少ないという現状が関係している。事件を真正面から取り上げ、元捜査員らが証言するようなドキュメンタリーが日本から発表されたことは注目に値する。今後も少しずつ増えてくれたらと願う気持ちで紹介した。次に、この一連の事件について、概要がコンパクトにまとめられているところがいい。『ルーシー事件』と題されてはいるが、確定判決で認定された彼の犯行は、ルーシーさんに対するものだけではない。長きにわたり、女性をリゾートマンションに誘い込み、性暴力を繰り返していた。ルーシーさんが遺体となって発見されたことにより、それらがすべてめくれることになったのだ。そんな全体像を、事件を知らない人にとっても理解しやすい構成になっている。

 私個人としては本作を見ながら、新たに思うところがあった。なぜ長期間、犯行を繰り返すことができたのかという疑問についてだ。薬物を使用していることから、被害者自身が被害を記憶していないということも理由のひとつだろう。それに加えて捜査員のひとりは、六本木での聞き込みに苦労したと言い「彼女たちにも不法就労等で逮捕されるリスクがあったから」と、そんな事情を明かしていた。容易に警察に訴えることができない、そんな立場にあった女性たちが被害に遭っていたことを示唆する証言だった。押収された織原のノートには「悪に徹する」と記されていたというが、確かにその通りの事件だ。

 本作は元捜査員から見たルーシー事件だが、収録されていない情報も多々ある。さらに事件を深く知りたければ、ノンフィクション書籍『黒い迷宮』(リチャード・ロイド・パリー/早川書房)を薦めたい。刑事裁判の詳細、そこで織原が語ったこと、遺族に払った「お悔やみ金」、謎のホームページ。一審判決の一部無罪、控訴審判決の詳細。資産家だという家族について、民事訴訟……などふんだんに収録されている。

Netflix ドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』

©Netflix

2000年、東京でひとりの英国人女性が姿を消した。警察の執念の捜査がやがて、何百人もの被害者を毒牙にかけたとされる犯人の卑劣な犯罪を浮き彫りにしてゆく(「Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中」)。

HP:公式サイト

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